下町柳都(しもまちりゅうと)

2013年1月23日(水)
下町リュウトのハンドルネームについて問合せがありましたので、ここで改めて説明を。
新潟にはかつては堀がはりめぐされ、その堀端の柳の下を座敷に向かう芸妓が通るという美しい風景がみられました。
今では堀は埋め立てられ柳が残るばかりですが、この風情ある町にふさわしい呼び名が残っています。
それが「柳都(リュウト)」です。
その地域の中で広小路から下流にかけては下町(しもまち)と呼ばれ主に明治期以降に形成されたといいます。
新潟は空襲を免れているものの幾度の大火や1964年の新潟地震で被災していますが、下町エリアのそこここに、まだ古い町家や伝統的な町角に出会うことができます。
また、1858年日米修好通商条約により5港の一つとして開港された活気ある港町でもあり花街だったのです。
現在は、年寄りと猫ばかりの下町ですが、古き良き時代の港町、花街のように下町を活性化させるために人々が交流し、新潟の産業の発展に貢献できる、コミュニティー作りを目指すため下町柳都(シモマチリュウト)をハンドルネームとしました。
東京から見ていた下町と戻ってきて見た下町のあまりのギャップに(思っていたより物凄い町の衰退ぶり)戸惑っていますが、少しでも活気が出るよう活動したいと思っています。

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