2013年05月31日(金)
茶道「不昧流」のお茶会に参加させていただきました。とは言っても初めてのお茶会。茶会での作法も知らず扇子、懐紙、楊子も用意して頂き、先生の「お茶を楽しむことが、一番大事なことです。」言葉だけを頼りに、先生の茶室にお邪魔する前に作法をにわか勉強での参加です。
茶道の技量のいる正客と末客、次客は先生、生徒さんが勤め、小生はまわりの人の真似をしていれば大丈夫のおもてなしを頂き、お陰さまで美味しく菓子と濃茶、薄茶を楽しむことができました。
茶道というと茶碗を回してから正面にして頂くイメージがありましたが流儀が違うと作法が異なるものですね。不昧流は碗は取りに行くこともなく正面のまま渡されます。さすが松江藩主松平第7代不昧公の茶道ですね!!。
お茶会も終わり先生から掛物、花と花入香合の説明、不昧流の作法などを聴いていると私たちは日常生活の中で、ごくあたりまえに見過ごしたりしていることに気づきました。
茶道は先祖が蓄積して来た文化や知識があちらこちらに塗り込まれているんだなぁと思い、そうした時代の遺産を次の世代にしっかりと伝えていかなけらばならないと切実に思う経験となりました。
不昧は、その著書「茶礎」で、
「茶の湯は稲葉に置ける朝露のごとく、枯野に咲けるなでしこのやうにありたく候。此味をかみわけなば、独り、数寄道を得べし、其外客の粗相は亭主の粗相なり、亭主の粗相は客の粗相と思うべし、味はふべき事なり。客の心になりて亭主せよ、習にかゝはり、道理にからまれ、かたくるしさ茶人は田舎茶道と笑うなり。我が流儀皆立つべからず、諸流皆我が流にて、別に立流れあるべからずと可覚悟なり」
と述べている。
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